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福岡地方裁判所 昭和44年(わ)65号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕一、(一)、本件公訴事実は、「被告人は、遊興費等に窮し自動車強盗を企て、昭和四四年一月二六日午前五時ころ、福岡市中洲四丁目西鉄中洲バス停留所附近で城南タクシー運転手山岡盛義(当時三八年)の運転するタクシーに乗車し、同日午前五時五分ころ、同市明治町四丁目大多和半三郎方前附近路上にさしかかつた際、停車を命じ、所携の刃体の長さ約9.7センチメートルの果物ナイフを同人の首筋につきつけ、「金を出せ」と申し向けて脅迫し、その反抗を抑圧して金員を強取しようとしたが、同人に騒がれ、同所を通り合わせたタクシー運転手川島茂幸らに逮捕されたため、その目的を遂げなかつたものである。」というのである。

(二)、しかして、右の事実は、動機の点を除いて<証拠>により、これを認めることができる。

二、ところで、弁護人は、被告人は本件犯行当時精神分裂病に罹患し、そのため心神喪失もしくは少くとも心神耗弱の状態にあつた旨主張するので、被告人の本件犯行当時の精神状態につき、検討を加えることにする。

(二) <証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

1 被告人は、肩書本籍地において父弘道、母時子の第三子(長男)として出生し、小・中学校のころは性格温和で、学習態度も極めて真面目であり、成績優秀であつたが、昭和二六年三月中学校卒業後、三菱造船横浜工場の工員として就職し、その傍ら神奈川県立神奈川工業高校機械科(定時制)に学び、昭和三一年同校を中等の成績で卒業した。

2 しかるに、被告人は昭和三六年ころ、対人関係がうまくいかないことを理由に過去一〇年間勤務していた右三菱造船横浜工場を退職し、その後、対人関係がうまくいかないこと、労働条件が悪いこと、仕事の内容が自分に適しないこと等の理由で、数回職場を変え、昭和三九年初めころから精神の変調が目立つようになり、同年五月一二日精神分裂病と診断されて横浜市舞岡病院に入院し、当初は不眠、幻聴、関係妄想、注察幻想の諸症状を呈し、自閉的生活を送つていたが、同年八月一八日に至り、幻聴、妄想等は消失し、不眠も見られなくなつたものの、病識不充分、やや自閉的、他との協調性不充分という所見のまま、いわゆる軽快状態で同病院を退院し、再び会社に就職したが、昭和四〇年同会社を退職し、そのころ精神分裂病が再発し、同年七月一七日前記舞岡病院に再入院し、幻聴を除いて前同様の症状を示したが、同年一〇月一五日前同様の軽快状態で退院した。

3 被告人はその後二、三度職を変えた後、昭和四一年二月、関西で働きたいという漠然とした目的で家出をしたが、同月六日、京都市内において、金銭に窮したため、所携の大工用のみを使用してタクシー運転手を脅迫し、現金四、〇〇〇円を強取したが自首し、右犯罪については、同年四月一日、京都地方裁判所において懲役二年六月に処する旨の判決を言渡されたが、控訴を申立てた結果、同年七月一四日、大阪高等裁判所において懲役二年六月、執行猶予四年の判決を言渡され、同判決は同月二九日確定した。しかしこれより先、被告人は同年六月ころから、精神変調が現われ、無為自閉状態を呈し、右執行猶予の判決を得て自宅に帰つたが、間もなく自殺を図つたため、同年七月横浜市山谷病院に入院し、昭和四二年一月同病院を退院し、自宅療養の後、同年六月に至り、昭和鉄工所に就職したが、昭和四三年三月初めころより精神に変調を来たしたため、同月九日、精神分裂病の再発と診断されて、神奈川県平塚市富士見台病院に入院し、当初は情意鈍麻、関係念慮、作為体験、幻聴の諸症状を示していたが、同年一〇月八日、情意鈍麻、思考連合弛緩、関係念慮等が残遺のまま、いわゆる不完全寛解状態で同病院を退院した。

4 被告人はその後、前記昭和鉄工所に復職したが間もなく退職し、同年一一月好井鉄工所に就職し、同年暮、一度家出をしたことがあつたが間もなく戻り、昭和四四年一月二二日、仕事の内容が従来やつてきた造船関係の設計と異なり、建築設計であることからよく理解できないこともあつて自暴自棄の気持になり、右好井鉄工所を退職するとともに、その際支給された賃金等現金約二万五、〇〇〇円をもつて、家出を敢行し、家出先で自動車強盗をして自己の一生を台なしにするか或いは自殺でもしようか等と考えて横浜市内のアパートで本件果物ナイフ一本を買い求め、同日夜、同市山下公園において所携の剃刀で手首を切り自殺を図つたが目的を達せず、行先も決めずに国鉄横浜駅から列車に乗車し、名古屋、京都、大阪、広島でそれぞれ下車した後、同月二五日午前七時ころ、国鉄博多駅に着いたが、この時、所持金の残りが少なくなつている気付き、自宅に電報を打つて母親に送金を依頼しようとも考えたが、無断で家出をしたことなどから頼み辛く、結局これを断念し、博多駅構内で時間をつぶした後、同日正午ころ、福岡市中洲の繁華街に赴き、飲食店、喫茶店に立ち寄つて時を過ごしたすえ、映画館三軒に相次いで入り、最後の映画館でオールナイト上映の映画を見て夜を明かし、翌二六日午前五時ごろ、同映画館を出たが、その際所持金が約五〇〇円しかなく、金銭に窮したことや、その反面警察につかまつて自分の一生を滅茶苦茶にしなければ済まないという気持が強くなり、ためらいを感じながらも、自動車強盗をしようと考え、客待ちをしていた前記山岡盛義運転のタクシーに乗り込み、その後も自動車強盗を愈々敢行するか否か迷いつつも自分の一生を滅茶苦茶にしなければいけないという気持が益々強まり、自分の力ではどうにもならない気がして(なお、被告人の捜査段階における供述調書中の本件犯行の動機が主として金に困つて金を盗ることにあつたかの如き供述部分はたやすく信用し難い。)たまたま人家の少ない寂しい本件犯行場所にさしかかつた際、同人に対して、「小便をするから停めてくれ」と申し向けて、右タクシーを停車させたうえ、値札のついたままの本件果物ナイフを使用して本件犯行に及んだが、右山岡から果物ナイフを持つている右手をつかまれ、後部座席に押さえつけられるや、急に恐ろしくなり、とつさに「見逃がしてくれ、助けてくれ」と懇願し、猶も逃げようともがいていたが、この騒ぎに気づいた通りがかりのタクシー運転手川島茂幸、同大崎正信が駆けつけ、右大崎において被告人の手から右果物ナイフを取り上げると、被告人は遂に抵抗を断念し、おとなしくなつた。

5 被告人は、その場で現行犯逮捕され、その後の警察官の取調に対し、当初本件犯行を家人に知らせたくない気持から、「東京都江東区南砂一一」「田中好孝」「昭和一三年一二月一一日生」と架空の住所、氏名、生年月日を申述したが、その日のうちに全てをありのまま自供し、同月二八日強盗罪で勾留され、同月三〇日福岡地方検察庁において安陪光正医師から三〇分ないし一時間程度受けた問診とその当時までに収集されていた捜査記録に基づき、「精神分裂病の寛解状態で、善悪の判断可能、責任能力あり今日病識存する」旨の診断を受け、その後起訴されて引き続き勾留されていたところ、同年七月二二日より同年九月一日に至るまでの間、鑑定人今任準一による精神鑑定のため、若久病院に入院したが、その当時、病的異常体験として幻聴、思考伝播、関係念慮、妄想気分、作為体験などの諸症状を呈し、態度はぎこちなく、常人のような円滑さがないし、動作は遅鈍で、はきはきせず、自分の周囲に対して積極的に働きかけようとする意思の発動が耗弱している等の所見が見られ、明らかに精神分裂病の発病中であつた。

6 被告人の性格は、内向的でおとなしく、無口なうえ非社交的で孤独を好むところから人づきあいもあまりしないが、仕事に対しては真面目で努力家であり、精神分裂病発病後は、一層無口になり、つまらぬことを考え込んでくよくよし、偏屈になるほど、性格の変化が見られる。なお、被告人の血族で精神病の病歴を有する者は、次弟東昭が過去二回精神分裂病で入院した外には見当らない。

(二)、そして、右に認定した諸事実に<証拠>を総合して考察すると、被告人は元々分裂病性性格を有し、昭和三九年に精神分裂病の発病をみ、同病特有の諸症状を呈し、以後軽快状態になつてはまた再発するということを繰返して、四回にわたり精神病院に入退院し、最後の富士見台病院を本件犯行の約四ケ月前にいわゆる不完全寛解のまま退院しており、前叙の如く本件犯行の数日前より格別の理由がないのに自暴自棄になつて家出をし、自殺を企て、横浜から福岡まで来る間さしたる理由もないのに度々途中下車をする等不可解な行動が連続しており、本件犯行自体も被告人の生活歴、性格、知能程度に照らしてかなり唐突なものに感じられ、就中、本件犯行の動機として述べている自分の一生を滅茶苦茶にしなければいけないという気持が強まり、自分の力ではどうにもならない気がしたという点は病的所産であると見る外なく、結局被告人は本件犯行の数日前より精神分裂病が再発し、本件犯行当時一応是非善悪の弁別はできたとしても、精神分裂病のため人格の統一が損なわれ、病的なものによつてその行動を支配されたのではないかとの疑い、換言すれば弁別したところに従つて行動する能力を有しなかつたのではないかという疑いを払拭することができない。

(三) もつとも、前記の如く被告人は本件犯行時およびその前後の状況をかなり詳細に記憶しており、本件犯行にあたつては被害者に対し「小便をするから停めてくれ」と言つて停車させたうえで、所携の果物ナイフを使用して本件犯行に着手し、被害者に抵抗されて捕まえられるや「見逃してくれ、助けてくれ。」と懇願しており、犯行場所も人家の少ない寂しい場所であつたこと、被告人は本件犯行後警察に連行され取調を受けた際、自宅に通報されることをおそれて、虚偽の住所、氏名、年令を述べたことは前叙のとおりであり、右の諸事実からすれば、被告人は本件犯行当時格別意識の障碍がなく、また一見合理的な行動をし、事理を弁別し、且つ弁別したところに従つて行動することができたとみられないこともない。

しかしながら、前掲第五、第六回各公判調書中の証人今任準一の各供述部分および同人作成の鑑定書を総合すると、精神分裂病は治療を施しても完全に治癒することは非常に困難な精神病であり、同病は重症の場合は格別、通常知能および意識の障碍は少なく、また一応事理を弁別する能力は有するが、感情、意志などの性格方面の障碍を主とするもので、統一ある人格としての責任をもつた本当の意味での判断はできず、事理を弁別したところに従つて行動することができないというのがむしろ同病の特質であることが認められるので、(三)の冒頭掲記の諸事実があるからといつて、直ちに被告人が本件犯行当時是非善悪を弁別する能力はともかく、その弁別したところに従つて行動する能力を有し、ないしは右能力の著しく減退した状態になかつたものとはいい難い。

(四)、また安陪光正医師が、本件犯行の四日後である昭和四四年一月三〇日、福岡地方検察庁において、被告人を診察し、当時被告人は分裂病の寛解状態で善悪の判断可能、責任能力ありと診断したことは前叙のとおりであるが、右診断は前叙の如く同日までに集められていた捜査記録を資料としたのみで、病歴、入院歴等もつまびらかにされないまま僅か三〇分ないし一時間被告人を問診したのみで下されたものであるから、症状が複雑で、感情、意思などの性格方面の障碍を主たる疾患とする精神分裂病の診察としては、同医師自らもその証言中で認めるように、甚だ不完全なものといわざるを得ない。従つて、同医師の右診断は、被告人が本件犯行を犯した数日後の診断で、その点においては本件犯行より五ケ月後の、しかもその間の未決拘禁により更に症状の重くなつた時期になされた前記鑑定人今任準一の鑑定よりも、本件犯行当時の被告人の精神状態を推測しやすいということはあるとしても、長期間にわたつて被告人の行動を観察し、十分な問診をし、且つ諸種の検査を行ない、被告人の家族の者とも面接し、過去の入院時の病状、鑑定当時の訴訟記録等を仔細に検討してなされた前記今任準一の鑑定に比し、より信用できるものとも思われない。

(五)、そして他に被告人が本件犯行当時、是非善悪を弁別する能力は別として、その弁別したところに従つて行動する能力を限定的にすら有していたことを認めるに足りる資料はない。

(六)、以上の次第であるから、結局被告人は、本件犯行当時事理を弁別する能力はあつたとしても、精神分裂病のため、その弁別したところに従つて行動する能力を限定的にすら有していなかつたのではないかという合理的な疑いを拭い得ないので、刑法三九条一項にいわゆる心神喪失の状態になかつたことの証明がないものとして、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し、無罪の言渡をすることとする。

(秋吉重臣 吉田修 横田勝年)

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